私のメソッドで大切にしていることのひとつに「ゆだねる」ということがあります。
そういえば、英語では何というのだろう・・・何となく気になって調べるとEntrustでした。
En - trust Enの意味はIn
―信頼の中へはいる。
ゆだねるとは、今いる空間すべてを信頼しその中へ入っていく行為なんだなあ。と言葉のもつ意味に感嘆しました。
Entrustは無理にするものでもないし、自然とそうなる場を提供したいです。
こんにちは!
季節ものを食べるってわくわくします。秋の食べ物で小さい頃からの大好物が「栗」です♪
サンマより松茸より栗です!
それで、先日家の近くの八百屋さんで大きな栗が山ほど入ったものを見つけて思わず買ってしまいました。
夜ご飯を食べてから、よし!作るかなと。以前にも作ったことがあるのである程度じかんがかかるのは覚悟していたものの、硬い皮を剥き(爪がかけた上に渋皮で染まりました。笑) 渋皮のあく抜きにも時間がかかり気付けば深夜。。
しかし、グツグツ煮立たせないようにひたすら鍋の前で栗を見守ったり、そのじかんってとっても好きです。
買ってくれば手軽に美味しいものは手に入りますが、八百屋さんで栗を見つけた時の「わぁ!」という気持ちや、アクは抜けたかな、とか栗に傷をつけないように皮を磨いたり、五感を使って非効率的なじかんを過ごすのもいいものですね。なにより好きな甘さにしておいしいし。
おかげでとっても美味しいマロングラッセができました!
珈琲やお茶のおともに、飽きてきたらヨーグルトに丸ごと入れてスプーンで崩しながら食べたりして秋を満喫しようとおもいます:)
原宿のVACANT にてロルフィングWSを受けてきました。
最近、さらに身体を知りたい気持ちが湧いてきています。
心の向くほうへと自然と興味が広がり、行動していくことが今とても楽しいです。
毎月行われて今回は7回目、テーマは「触れる」講師はRISI公認ロルファーCertified Rolfer® の楠美奈生さん。
ロルフィングのセッションを提供しつつ、ダンサーで合気道もやってしまう、笑顔の素敵な女性です。
触れるって本当に大切な行為でいて、とても難しい。。
WS中にも出てきましたが「ふれる」と「さわる」の間には大きな違いがあります。セラピストの方やダンサーの方は特に同じことを思うこともあるかもしれませんが、つい相手に「良くなって欲しい」「動きやすくなって欲しい」と何かしようとしてしまうんです。
そうなると相手も余計に緊張してしまいます。ちゃんと、その場ができるまで待つことや、相手の方との間に適度な余白があることが、お互いの身体センサーを引き出すということを身をもって体験しました。
物に触れる、人に触れる、自分に触れる・・・触れることと同時に向こうから触れられている、という感覚。
その動作をやればいいってことでもなくて、どうやるか、それをやった自分の身体はどう感じるか。
声を使ったワークをやれたのも嬉しかったです。
声の振動が身体に響き、その波紋を感じ、音が止まっても音の余韻が身体のなかで鳴っていました。 骨を感じる、筋肉を感じることはあっても皮膚から骨の中までを細胞の集合体として、または身体という一つの水分が共鳴し、身体が一つのつながりで出来ていることを実感しました。
感覚的なことって伝えるのがとても難しいけれど、奈生さんはワークを通して体験という冒険をじっくりと提供してくださいました。
私もこのブログで感覚を伝わる言葉に言語化できるように頑張ろう・・!
もっともっと探求したい!
あぁ、あの静けさと空間は極上で本当に大好きです。
先日はじめてトークセンを受けてきました。
トークセンてご存じですか?
わたしは友人の紹介ではじめて知ったのですが、タイの伝統療法で雷にうたれた木の小槌でコンコンコンって身体を軽く叩いて整える整体法だそうです。
今回施術していただいたのは、尾形直子さん。 豪徳寺にあるHIRAYA GOTOKUJIという素敵なスペースでマッサージを提供しつつ、ダンサーでヨガインストラクター、インドへ移住し、日本人で初めて、インドでの整体サロンの運営に携わったご経験もある・・・!というとても魅力的なかたでした。
そしてトークセン、とっても気持ちよかった。。 ベッドに寝て、木のやわらかくコンコンという音に癒されながらあっという間の60分。
その音を聴いていると
「私がクラシックバレエをはじめたキッカケもトゥーシューズのコトコト鳴る音が大好きだったからだっけ」 と5歳のときに家にあった小さなトゥーシューズを履いて家中歩きまわる情景を思い出しました。
そんなふうに施術をやってもらっていると、突如わきの下付近の上腕骨端っこ(伝われば幸いです。。笑)を叩いた瞬間、痛みが・・!
そういえば、趣味のキックボクシングで以前痛めた右手首に、ほぼ痛みはないものの違和感があり、そこのダメージがわきの下辺りの筋肉にもあらわれていたようです。
すこしコンコンしていると、痛みが消えました。
「音を聴いているとそこが緩んだかわかるんだよ~」とセラピストの直子さんは教えてくれました。 私には違いがほとんどわからず、おもしろいなぁ。
受けた体感的には、コンコンしてもらうと最初は叩いている場所付近で響きが止まる感じなのですが、身体の緊張が抜けて整い、全身につながりがでてくると骨盤を叩くとその振動が頭頂や足先まで響くのが感じられました。
水面に水を1滴おとすと波紋が遠くまで広がっていくような感じです。
ロルフィングワークショップの時にも声になる前の声(んーーーみたいな振動)をだすと、その振動が身体に響いていくのを実感しました。
大人の身体は約70%が水分と言われているので、1カ所叩けば全身に響くのもよくわかりますねえ。
身体の声にしたがうって、ひとりじゃ分からなかったりするけど、外部からの心地よい刺激を受けると、それを受け入れたり、その感覚を全身に響かせたり、身体の声にしたがう感覚がわかりやすくなる気がします。
そして丁寧に身体に触れてくださった直子さん、ふわりとしながらも小さな感覚までキャッチしてくださるような、とても素敵なお人柄で、ついつい長話をしていつまでも居たくなるようなひと時でした。
今回お世話になったtokusen massage ogata。リンク張るらせていただくのでご興味ある方は、ぜひ一度体験してみてください:)
https://www.toksenmassage-ogata.com/
すこし時間が経ちましたが、この感覚を身体だけではなく、文字として残しておこう、と思いここに綴ります。
9月1日から3日間、日本の素晴らしいムーブメント講師、田畑浩良さんと、ヨーロッパのダンサーでもある、ロルフムーブメント講師Nicola CarofiglioさんWSを受けてきました。テーマは『Em-body Orient/Occident 』 会場は神社のなかにあり、広ーい畳と境内から響く鈴の音や鳥の声が本当に心地よかった。。
私にとって、ほぼ初めてのロルフィングWS。ロルファーの方に混じっての参加は内容についていけるのか、正直かなり不安でした。
1日目。場と出会うことからはじまりました。自分のスペース、部屋、部屋の外、手や身体で敬意を払って触れていく、手の届かないところは、目線で触れていく。無自覚に閉じていた感覚は、その場が安心安全だとわかると、ゆっくりと感覚がひらいていきました。
畳に仰向けに寝る。
Nicolaさんの声の振動、音から伝わる安心感。背中には横にひろーく広がる畳。建物の外の神社からやさしく響く鈴の音。ふぅーーー。と身体が落ち着き、その場に馴染んでいく。
言葉は必要最小限。静けさのなか、短く、みんなで感覚をシェアするじかん。はじめはこんな事言ってしょうもないかな…。と様子を伺っていたものの、その場にいる誰もが上でも下でもなく、互いに尊重する空気で、すぐにその遠慮はなくなりました。
『その場にいかに静けさをつくるかが本当に大切で、深い静けさがあれば、セッションは1秒で済んでしまうかもしれない。時間じゃない』
静けさをどのようにつくるか、それは、WSの場に居た人たち皆んなの姿勢から教えていただいたような気がしました。
待つということ、相手をコントロールしない、まなざしの所在、呼吸、間合い、尊重する態度・・・ その都度の変化をお互いに受け容れていき、すべてがその場の静けさをつくっていきました。
Embodymemt(体現)という言葉の意味を掘り下げていくなかで、言葉の意味、言葉の響き、言葉をバラバラにしてそれぞれの語源をたどり、その全てが感覚として自分の身体におちていくようでした。言葉を文字情報以外からもたくさん受けとっている事に気付かせていただきました。
また、ゴールに相手を引っ張っていくのではなく、今のこの場に全てがあるというか…すごく抽象的な話になってしまっていますが、知識よりも感覚が何よりも大切なんだと感じました。その感覚の支えとなるのが知識というか。
いろんなものを自由に感じていいんだよ。という場を皆さんでつくっていけたことが、私に静けさを与えてくれたような気がします。
私事をお話しすると、バレエをやっていた時は『正しいこと=脚は必ずターンアウト。床から足が離れたら必ずつま先は伸ばす。肩は下げる、外筋は太くなるから内筋をつかう…』こんな感じでそれ以外は全て間違っている。みたいな極端な思いが強かったです。ダンス以外の日常でもこうしなければ…が強く、それが出来ない自分は劣っている、人と違う考えなのは私がおかしいのかな。と思っていて、自分が何を感じているかはどうでもいい事だとずっと思っていました。
そんな自分が、本当の本当に大切にしていきたいことを、田畑さん、Nicolaさん、そして参加者の皆さんの在り方からあらためて気付かせていただきました。
いま現在でも、聴覚が前よりもひらいているからか、カフェのBGMや街の音がとても騒がしく感じますが、そんなときに『どのようにして自分のなかに静けさをもつか』という問いが私のなかに響き続けています。
疲れたなぁ〜という日は駅からの帰り道、地面を信頼して歩いてみると、家に着く頃には身体が楽になっています。
この3日間で体験した内容は、日が経つにつれて自分の中で角が取れ、輪郭がぼやけてくるかもしれません。でも、それで良いと思っています。刻まれた記憶は永遠に、この身体にあるはずです。