人に触れ調えることを、本腰をいれて学びはじめた。
いつか、準備ができたらお客さまをむかえて良くなるキッカケを提供できるようになりたい。今まではエネルギーワークで軽く触れたり触れなかったりのセッションだったが、今度はしっかりとしたタッチでカラダの不調も改善していくようなもの。エネルギー構造とともに肉体もみれたらいいな!とシンプルにおもう。
そのためには、自分のなかの小さな違和感やふとした感覚のざらつきまでも丁寧にすくいとりながら大切に自分を育てていきたい。
実際に人に触れながら施術の練習をしていくなかでの「違和感」や「ざらつき」なんてコンマ1秒の
「…ん?」
くらいなもんなんで、もはや「気のせい」で簡単にすませることのできることでもある。
それをわざわざ言葉にするのは難しいというか、できるのかわからんけど、はじめての時にしか感じることのないフレッシュで素直で大切な感覚だとおもうので、気が向いたらなるべく書きとめようとおもう。
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さて、先日の朝練(施術の練習のこと)で気になったのは、お客さまとこんにちは〜をして、主訴をうかがいつつも軽く全身をチェックし、急にその人のカラダに触れるということだ。そりゃ施術をする場所なのだから、本当に当たり前の流れではある。が、しかし感覚的は道で知らない人とすれ違うときに突然キスするみたいな唐突さをかんじた。(ちょっとオーバーに言ってるけど方向性はこんなかんじ。)
何度も会っていても友人でも関係はなく、その日はじめて出会ったまだ馴染みのない他人のカラダに、パッと触るのはとても乱暴なかんじがした。
しかし、後からなぜそんなふうにかんじるのか、自分のカラダにたずねてみた時に
「自分のカラダに出会ってないから」
というのが、瞬間にでてきた。
自分のカラダも他人のカラダもひとつながりであり、自分のカラダに優しく触れている状態が(感覚的に)あったうえで、相手に触れたらどうだろうか。
もはや、相手に触れにいく感覚はなくなり、
私はここに居るだけで良いのではないか。(もちろん施術をする以上ある程度の介入はあるが、感覚的にはもっと大きな流れのなかでの相手のつながりを感じることができるのでは。)
そしたら、他人に突然キスする(比喩です)必要はなくなるのかもしれない。
先日はバンドメンバーの結婚式でした。
みんなが2人の嬉し恥ずかしい緊張で少しだけこわばった表情に向かって祝福したり、これまで歩んできた道を振り返って笑いあったりする時間。
結婚式って2人の結婚を祝う場だけど、それだけじゃなくこれまでにあった苦い経験も甘い想いも、その人が経験してきた全てをまるっと含んだ ”それ” を祝福する感じがする。そんな言葉にするのが難しい “かけがえのないなにか” に満ち満ちた時間を過ごすと 「このいのち、このじかん、無駄にするんじゃあないよ」 とどこからともなく聞こえてくる気がした。
この心をもっともっと感動に触れさせたい
この目をもっともっと美しいものに使いたい
今あるこの限りある身体を喜びで満たしてみたり
優しさに浸してみたりしたい
そういったことにめいいっぱい使い切りたい。そんな感覚をこの身体に残してくれるのが、私にとっての結婚式。
ひさしぶりにゆっくりと座って瞑想をする。
といっても15分くらい。
スマホはへーきで15分とかみてるのにね、15分目を閉じて座るのはとても特別に感じるね、うへへ。
胸につかえていたものが何なのかわからず、ひとまず瞑想をはじめてみると、カラダさんから
「ぼくのこと忘れないでね」←なぜかボク笑
って言われた。そして、最近ずっと意識が外に外に向いていたことに気づいた。何かをずっと外に向かって探していた。胸をギュッと締めつける何かを取り除くために。
ある時は、本の中を探し、ある時は思考の中を探した。
でも、正解は外側には何もなくて、私の内側からきこえてきた。それは正解でも不正解でもなく、ただの声だった。
やっぱり、自分のカラダとつながっていることは、なにかとても大切なことなのかもしれない。
そんなの当たり前じゃないか、とアタマでは言いたくなるけど、カラダでわかっている事に意味があるんだ。
ここ数日の私のように、カラダとつながることを何日か、もしかしたら何年か忘れてしまっている人がこの世界にはあふれているかもしれない。外側の世界はいつも魅力的で、沢山の情報で賑やかだからね、ついつい誘われるように、外の世界にばかり居てしまうんだ。
樹と樹の根のように、外と内が同じだけ自分のなかにあるのが丁度いいのかな、なんておもったそんな日。
朝7:30に目覚め、晴れた土曜日の街を歩きヨガのレッスンへ。
自分だけの時間をもつことってなんて贅沢なんだろう。毎度新鮮なこの気持ちが浮かび上がってくる。
細部まで隈なく意識を巡らせ
感覚を自由に泳がせるとき。
皮膚にあたる風 首筋に触れる髪
呼吸のなみ 体液のながれ…
身体と私はひと繋がりになり
身体からの本当の望みを聴ける瞬間。
このまばたきのような一瞬を丁寧にすくい上げ、
大切に受け取ってあげよう。
そのアイデアや直感、スッとしたり
モヤッとしたりの身体感覚は
自分の頭でこねくり回しては出てこない、
一番素直な「わたし」の声である。
なーんてね。
今日もよき1日をね!
整体を受けて自覚したんですが、私、発散がニガテになっていたみたい。
ここ数年、発散することに制限を感じているひとも多いかとおもいます。今これを読んでいて一緒にうなずいてくださる方もいるかもしれないですね。
この間、ひっさびさに友人と会って美味しいごはん食べながらおしゃべりしたら、凄く幸せな気持ちになりました。そう言えば、少し前まで普通だったことが今は普通でなくなっていました。
環境が変わって快適になった部分も結構たくさんあるんだけど、知らぬ間に発散しづらい生活になっていたみたい。
昨日も言ったように、変化は知らぬ間に進んでいるもんなんですね。
お笑いみたり、登山したり、歌ったり踊ったり、ヨガしたり、、皆さんの好きな発散方法があったらぜひ教えていただきたいなあ。