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2023.04.07

人に触れ調えることを、本腰をいれて学びはじめた。

いつか、準備ができたらお客さまをむかえて良くなるキッカケを提供できるようになりたい。今まではエネルギーワークで軽く触れたり触れなかったりのセッションだったが、今度はしっかりとしたタッチでカラダの不調も改善していくようなもの。エネルギー構造とともに肉体もみれたらいいな!とシンプルにおもう。

そのためには、自分のなかの小さな違和感やふとした感覚のざらつきまでも丁寧にすくいとりながら大切に自分を育てていきたい。

実際に人に触れながら施術の練習をしていくなかでの「違和感」や「ざらつき」なんてコンマ1秒の

「…ん?」

くらいなもんなんで、もはや「気のせい」で簡単にすませることのできることでもある。
それをわざわざ言葉にするのは難しいというか、できるのかわからんけど、はじめての時にしか感じることのないフレッシュで素直で大切な感覚だとおもうので、気が向いたらなるべく書きとめようとおもう。

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さて、先日の朝練(施術の練習のこと)で気になったのは、お客さまとこんにちは〜をして、主訴をうかがいつつも軽く全身をチェックし、急にその人のカラダに触れるということだ。そりゃ施術をする場所なのだから、本当に当たり前の流れではある。が、しかし感覚的は道で知らない人とすれ違うときに突然キスするみたいな唐突さをかんじた。(ちょっとオーバーに言ってるけど方向性はこんなかんじ。)

何度も会っていても友人でも関係はなく、その日はじめて出会ったまだ馴染みのない他人のカラダに、パッと触るのはとても乱暴なかんじがした。

しかし、後からなぜそんなふうにかんじるのか、自分のカラダにたずねてみた時に

「自分のカラダに出会ってないから」

というのが、瞬間にでてきた。
自分のカラダも他人のカラダもひとつながりであり、自分のカラダに優しく触れている状態が(感覚的に)あったうえで、相手に触れたらどうだろうか。

もはや、相手に触れにいく感覚はなくなり、
私はここに居るだけで良いのではないか。(もちろん施術をする以上ある程度の介入はあるが、感覚的にはもっと大きな流れのなかでの相手のつながりを感じることができるのでは。)

そしたら、他人に突然キスする(比喩です)必要はなくなるのかもしれない。

2022.10.04

ひさしぶりにゆっくりと座って瞑想をする。

といっても15分くらい。

スマホはへーきで15分とかみてるのにね、15分目を閉じて座るのはとても特別に感じるね、うへへ。

胸につかえていたものが何なのかわからず、ひとまず瞑想をはじめてみると、カラダさんから

「ぼくのこと忘れないでね」←なぜかボク笑

って言われた。そして、最近ずっと意識が外に外に向いていたことに気づいた。何かをずっと外に向かって探していた。胸をギュッと締めつける何かを取り除くために。

ある時は、本の中を探し、ある時は思考の中を探した。

でも、正解は外側には何もなくて、私の内側からきこえてきた。それは正解でも不正解でもなく、ただの声だった。

やっぱり、自分のカラダとつながっていることは、なにかとても大切なことなのかもしれない。

そんなの当たり前じゃないか、とアタマでは言いたくなるけど、カラダでわかっている事に意味があるんだ。

ここ数日の私のように、カラダとつながることを何日か、もしかしたら何年か忘れてしまっている人がこの世界にはあふれているかもしれない。外側の世界はいつも魅力的で、沢山の情報で賑やかだからね、ついつい誘われるように、外の世界にばかり居てしまうんだ。

樹と樹の根のように、外と内が同じだけ自分のなかにあるのが丁度いいのかな、なんておもったそんな日。

2022.09.10

朝7:30に目覚め、晴れた土曜日の街を歩きヨガのレッスンへ。

自分だけの時間をもつことってなんて贅沢なんだろう。毎度新鮮なこの気持ちが浮かび上がってくる。

細部まで隈なく意識を巡らせ
感覚を自由に泳がせるとき。

皮膚にあたる風 首筋に触れる髪
呼吸のなみ 体液のながれ…

身体と私はひと繋がりになり
身体からの本当の望みを聴ける瞬間。

このまばたきのような一瞬を丁寧にすくい上げ、
大切に受け取ってあげよう。

そのアイデアや直感、スッとしたり
モヤッとしたりの身体感覚は
自分の頭でこねくり回しては出てこない、
一番素直な「わたし」の声である。
 
 
なーんてね。
今日もよき1日をね!

クライミングウォール2021.09.03

こんにちは。
気づけば9月、一気に秋になりましたねー!

そういえば先日、クライミングウォールを体験しました。
壁に石のような突起があり上まで登っていくスポーツです。ボルダリングとそっくりですが、
ボルダリングよりも壁は高く、8mあります。講師の方曰く "ボルダリングは短距離走、クライミングウォールは中距離走" だそうです。

ハーネス(安全ベルト)をつけて1人は登り、もう一人は陸で登る人のハーネスと自分のハーネスを繋げたリールを引いて、万が一相手が落ちても大丈夫なようにサポートします。

クライミングウォールって見ていると腕で登っているように見えますが、実は脚を一番使うそうです。
基本は手すり付きの階段を上るように3点(3角形)を保ちながら登っていくそうです。
そう説明を聞いたのにもかかわらず、いざやるとがっつり腕で登っておりました。笑

足の運びはいく通りも可能、腕や体を無理に使って力でトップまで登ることもできるし、体に無理なく安定した中でトップまで行くこともできる。

登りながら 「これって人生みたいだなー」 なんて
言葉にするとちょっと小っ恥ずかしいですが、とっても奥深い競技だとおもいました。

また、リール(陸でのサポート)をやっていても、相手の命を預かる大事な役目であることや、相手が安心して登れる声がけをすることなど、日常では忘れてしまっている根源的な感覚というか、命とダイレクトに繋がっている感じがしました。言葉にするのが難しいですが、この感覚はとっても大切なものなのは強く感じました。

私はなぜ突然クライミングウォールをやりに行ったのでしょう。笑
自分でもわからないのですが、何だか思い立ち自ら予約の電話をかけ、偶然にも当日に体験会があり参加したのでした。

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ソースポイントセラピーというエネルギーワークを行っています。
セッションは以下のアドレスから。SNSのDMよりお気軽にご質問もどうぞ♪
ambientmove@gmail.com
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グループレッスン2021.07.08

おはようございます。
今日は朝からこうして書いています。

私はプライベートレッスンとグループレッスンをやっているのですが、
グループレッスンは2年ほど同じ場所でやらせていただいています。そこで始めた時からずっと今日まで毎週通ってくださる方、最近いらしてくださる方と様々です。

2年やっていて、ずっと変わらず大切にしていることがあって、それは
「ゆるむこと」
「感じること」
「つながること」

です。緩むことができずに、緊張してカチコチの体では感じることが難しいので、
現代人の日常動作の中で「使いすぎ」「使わなすぎ」でかたまってしまった部分を動きの中でゆるめ、思考も体もフル回転で外に意識が向いている日中から、夜の休息モードへ切り替えます。自分の掌で「皮膚から伝わる体温」「肌の柔らかさ」「骨のフォルム」など「今ここの体」を感じ、体から外側への「空間のひろがり」を感じていきます。

体の動き的にこれがあっているのか、間違っているのか、それ以前に
「そもそもやってて心地よいかな?」
と気づいてもらいます。時にはあえて違和感のある動きと2つの動きを比べてもらうことも。

すると、ある時から毎週欠かさず2レッスン続けてくださっている方々にある変化がありました。

「今日は疲れているので1レッスンだけにします〜!」
「忙しかったけどこの時間だけは来たくて仕事抜け出しちゃった!」

そんなお声を聞くようになりました。
「日々変化する体の声を聞く」ことが、当たり前にできるようになっていたんです。体を動かすことでスッキリする日、とにかく寝ておうちにこもって休みたい日。「今日はこんな気分だからこうしよーっと。」と自分が心地よい方をさらりと選択している姿を見るたび、とっても嬉しい気持ちになります。

「コンスタントに通うことが美」ではないんです。
ちょっとした違和感に気づくこと、こうしたいなに気づきしなやかに行動していること。

それってシンプルで素敵!!
どうかその感覚を大切にしていてほしいな。
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