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クラスの合間に…2020.03.09

今日は霧雨が朝から続いています。

今こちらはお昼の13時、午後のクラスの合間にこれを書いています。

お昼ご飯のあと、雨でも外へウォーキングしにいく人、コーヒーやハーブティー片手に仲間とおしゃべりする人、部屋で仮眠をとったり、みんな思い思いに過ごせる「隙間」がこのコミュニティーの中にはたくさんあること、その隙間や違いを皆んなが受け入れている事が心地よく過ごす秘訣な気がします。

もちろん2週間という期間を朝から晩まで同じ人たちと過ごし、クラス中は1つの部屋でかなり濃密な内容を学ぶため、その時間がないと皆んなやり通せないという事があるのですが・・・

私は、外の屋根のあるところで、今日の午前のムーブメントクラスでやったことをフィードバックしました。ペアでテーブル(施術台)にひとりが横になり、相手の脚や腕を持つワークをしました。その時の相手を「ホールド」するのではなく「受けいれる」感覚を思い出しました。

外のひんやりと湿った森の香り、左手に持ったコーヒーの香り、霧雨の先に見える遠くの山々。
ドアの向こうのカフェテリアからは皆んなの話し声。

その「環境を受けいれる」ととても静かなスペースが身体の中や空間に広がっている事に気付き、自分の呼吸と共に波打つ身体がダンスするようでした。そして、今いる環境の全てを「受け入れたい」と思えるのは本当に稀有なことだと思いました。

クラスの様子など、また別のタイミングでかけたらと思います。

Spectrm前に・・・2020.03.07

ホテルをチェックアウトし、spectrum(プレトレーニング)前にしばし時間があるため、これを書いています。

旅をすると、このような感覚を覚える人も多いかと思いますが、今トランク1つバックバック1つが自分の全てで、これだけでとても豊かな生活ができている事に気付きます。

新たな出会いや別れ、ちょっとした雑談や、電車に乗る人たちの風景、ひとりでは何一つパーフェクトにできないからこそ、人の手を借り、わからない事は尋ねて、たくさんの人と触れ合うことで

「なんだ、ひとりでここへ来たけど全然ひとりじゃなかった」

と気付いたりします。
心細くても、自分でなんとかしなくてはいけない事や、後回しでいい事、臨機応変に適応すること、くつろぎ、楽しむ事。
人はすぐに忘れてしまう生き物なので、幸せになることは何度も繰り返します。
いつでも周りにいる人や環境と触れ合い、世界はいつでも開かれている、私の求めるものはいつでも笑顔で待っているということを経験します。
もちろん、嫌なことや安心できないこと、何か奪われる感じがする時は静かにその場から去ることも。

"Stay in the Flow"

とイナさんが伝えてくれた言葉を胸に、ロルフィングという新しい世界を探究します。
Door is Open.

セッション3 w/Ina2020.03.06

デュッセルドルフから出発する前日、セッション3を受けました。
セッション3は身体の側面に働きかけます。

その前に手の感覚について話したことから手を壁に当てて感じるところから始まりました。
立った状態で両手を壁におき、掌が壁へ溶けていくように感じてみます。

手が溶けて、その手はそのまま壁の奥へと入っていくように。肘はテンションをかけず、ゆったりと曲がった状態、地面の方へ柔らかく、重く感じます。両手は決して押すことなく壁を許して、受け入れる。そうすると、壁の方から自然とこちら側へ寄り添うように話かかけてくる感覚がありました。
見かけは壁の表面に触れているように見えますが、感覚は壁の奥にまで届き、壁の奥行きや広がりが感じられると、それに全身が反応し、緩み、広がり、全身がその環境を受け入れはじめました。

壁と私が交流し、遊んでいるような感覚は、それだけでとても心地よく楽しく、私をリフレッシュさせてくれました。
それは一人の作業ではなく、環境からたくさんのことを話しかけてくれていて、それらと交流することで豊かな身体に変化していくことがわかりました。

この文章を書くにあたって 「感じる」 という言葉を使っていますが、イナさんは "Sense" と言っていました。

"Sense" と "Feel" はちょっとニュアンスが違うのだけど、日本語だと 「感じとる」 と 「感じる」 とかになるのでしょうか。

Feelはこちらから積極的にアクションをおこして強いイメージ、Senseはもっとこう、いい香りがやさしい風に乗ってふわっと香るような、お互いが感じとり合うような(←この日本語なんか変…)繊細なニュアンスなのかなと思います。

その後、手で感じた感覚を使い、いくつかのムーブメントをしたあと、身体の側面にむけた施術台でのセッションを続けました。

今回のセッションで強く感じたのは、1ミクロンでも "Sense" したらそれで十分だということです。
つい、より良く感じとりたいと思って頑張ってしまうと、それは全然違うことになってしまうんです。身体が動かなくても、その動く前の「動き」を "Sence" するので十分と言えるし、そのちーさな反応に私もイナさんもちゃんと気付くことができました。

今、こっちでセッションや話を英語でしていると日本語の時とはやっぱり言葉から受けるイメージって全然違います。
響きも、その言葉を発する人の文化も全然違うので。
だから、日本に帰ってこの経験を生かす時、やっぱり自分の中でよく咀嚼して、自分の言葉や感覚で改めて伝えていくんだと思います。英語圏の方が英語で学んだとしてもきっと同じような過程が必要ですが、言語の違いがあるとそれをせざる終えない圧倒的な理由があるなと思うのです。

環境について2020.03.05

デュッセルドルフについてちょうど1週間が経ちました。
時差ボケも落ち着いたし、毎日穏やかな環境で過ごせてとても幸せです。

イナさんと日々過ごしていて、ふとさっき思ったことは、ある「環境」に身をおく事と、その過程について。
毎日イナさんと一緒に過ごしていると、当たり前だけど毎日彼女の話す言葉を聞きます。

使う言葉、音の響き、ニュアンス、ちょっとした仕草、動き・・・

一度聞いて意味がわからない単語も、何度も出てくると何となくこんなニュアンスなのかな〜と思ったり、そうしているうちにその言葉を覚えて自分も使ってみたりします。
赤ちゃんが初めて言葉を覚えるのと同じだなぁ、と思って。

明日の朝、デュッセルドルフとはお別れして、ミュンヘンへ向かうわけだけど、きっと向こうでもイナさんの話し方や二人で会話していた中で使った言葉を、仲間や講師の先生にも使うだろうなと思います。

それって、言葉だけではなくて「覚える」という事すべてにおいて同じ事だと思います。
どんな環境で過ごすかで、何を感じるか、何が見えるか、どんな思考回路か。ぜんぶ変わってくるなって思います。

穏やかとは言え、コロナの事や色々な問題や心が乱されるようなことは日々起きているし、それから目を背けることもなく、東京に居る時と何ら変わらず色んな人が居るわけだけど、少なくともイナさんと過ごすことで、私の中はとても豊かで穏やかです。

「手はこうやって、こうやってよく洗って、うがいも忘れずに、安易に手で顔を触らないで、セッションで使ったものは全て毎回交換する、電車に乗る時にマスクしたい時はショールを首に巻けばいいのよ。にしても、プレトレーニング、いいなぁー!私も一緒に行きたいわ!!」って。

やれる事をキチンとやって、あとは落ち着いて自分のやるべきことを楽しもう。
自分を守って、手放して、受け取って、交流して。

そうやって過ごせたのは、彼女のお陰だと思います。

私は、イナさんや下の階に住むおばあちゃんとたった1週間だけど一緒に暮らして、お互いが思いやりながら日々起きる色々な現実を受け止めながら、楽しく過ごす事、いつ死がやってきても満足なように、どんな態度で暮らすか、どんな瞬間も大切にしつつ、厳しくなりすぎない事。。

そして、セッションを通してそれはそれは大きなギフトをもらいました。

身体の構造を捉える、自分の癖を理解する、重力を感じる、コミュニケーション、手放すことによって還ってくるものを受け取る、繋がりを感じる・・・

全てが初めての環境で、消化するのにまだまだ時間か必要だけど、すでに心も体も脳も素敵なもので満たされているのを強く感じています。
イナさんもまた、私との時間をとても喜んで過ごしてくれたのが伝わってさらに感謝の気持ちでいっぱいです。

あさってから、プレトレーニングが始まります。

セッション1 w/Ina2020.03.01

ドイツ、デュッセルドルフについて3日が経ちました。

おうちの外は小鳥の声と緑の香りと澄んだ冷たい空気がとても心地よいです。
昨年の9月に開催されたロルフムーブメントWSで出会った、ロルファーのイナさんのおうちへ1週間ほど滞在します。
おうちはとてもとても快適で、地下には手作りジャムやジュースが沢山並んだ倉庫があったり、イナさんと美味しいご飯を食べながらボディーワークについてお話したり、課題を進めたりしています。

きのうの夜はイナさんのロルフィングセッションを受けました。
セッション1(胸部の開放)をしてもらいました。

ロルフィングのセッションは基本下着でやります。直接身体に触れての施術のためや身体のラインを隠さないためです。
しかし日本の文化的に下着姿はとても抵抗があることなのでロルフィングセッションではなかなかないのですが、イナさんのセッションは下着で行いました。
おうちの2階にはセッションルーム、3階に私の泊まっているお部屋があるのですが、セッション前に自室にいると下の階から

「ボーン、ボーン、ボボボボボーーン」

と心地の良く優しい音が聴こえてきました。

「・・・??どこから聴こえるんだろ・・」

と音の元を探しながら階段を降りていくと、イナさんがセッションルームで大きな手持ち太鼓をもってニコニコ顔でセッションルームの中をゆっくりと歩きながらそれを叩いていました。
時間になったから叩いて呼んでくれたようで、本当にお茶目で素敵な方です。(日本に住んでいたこともあり、セッションルームの床は畳です♪)
今まで日本で受けたロルフィングセッションは扇谷孝太郎さんの10セッションをはじめ、その誰もがソフトなタッチでした。
イナさんのセッションは私にとって、また新たな感覚と経験のギフトでした。

以下、セッション中の感想のようなメモ。

ーーーーーーーーー

イナさんのタッチは優しくも確かな、力強いタッチ。

ベッドの上で仰向けになり、肩甲骨の後ろに両手を置いて、ゆっくりとその手を揺らしてもらうと緩やかな波の海に浸かっているような感覚になりました。
イナさんの手はびっくりするほど温かく、フワッフワのふっくらとした手でそれだけでとても特別な時間に感じました。
背中とベッドの間に両手を滑り込ませると
「身体が小さくて痩せているね!片手で十分だわ!」
と日本人とドイツ人の骨格や体型の違いをイナさんも楽しんでくれているようでした。
私の肩は何だかとてもお喋りで、イナさんの手の微細な動きにやたらと反応していました。しばらくすると落ち着きました。
それはまるで、人のアクションに大して毎回リアクションをしなければならないと強制的に教え込まれた悪い癖のようでもあり、過剰に反応してしまうアレルギー反応のようにも感じられました。

左肋骨を前後から包み込み、グーっと圧を加え、その中で大きな呼吸をしました。
すると、身体が一気に解放された感覚があり 「身体」 という器がなくなってしまったような感覚でした。
どこまでも空間と身体が調和し、軽く背は高く、目はぱっちりと開き、骨の長さを感じるようになりました。

左側が終わって左右を比べてみると、右半身はむくんで重い粘土のように感じられました。
小さな頃から骨折したりケガはほぼ全て左半身にあります。視力も少しだけ左の方が弱い。そのことにも今回初めて気付きました。
「わ!ぜんぶ左側だ・・・!」って。

身体が閉じて眠っていたような感覚から、一気に身体が覚醒というか、完全に目覚めました。
発声にも明らかな変化があり、声が大きくなりました。笑 全身を力強く振動させながら発声している感覚で、身体だけでなく、声まで内に籠もっていたところから表に出てきたような。
今まで、なんだか喉を詰まらせて発声していたのか・・・と気付きました。

また、立った時に膝を過伸展してしまう癖にも気付きました。
膝をごくわずかに緩めるだけで、下腹部はゆったりとして心にもゆとりが生まれるようでした。

翌朝、まだその感覚は続いていました。
もちろん、日常生活の中で四六時中その感覚を感じている訳ではないのですが、気づいた時に少しばかりすぅーっと身体を落ち着かせてみます。
すると、セッション前の自分とは違う自分がここに居て、身体という器にくつろいで腰を下ろしていました。

おわり。

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