人に触れ調えることを、本腰をいれて学びはじめた。
いつか、準備ができたらお客さまをむかえて良くなるキッカケを提供できるようになりたい。今まではエネルギーワークで軽く触れたり触れなかったりのセッションだったが、今度はしっかりとしたタッチでカラダの不調も改善していくようなもの。エネルギー構造とともに肉体もみれたらいいな!とシンプルにおもう。
そのためには、自分のなかの小さな違和感やふとした感覚のざらつきまでも丁寧にすくいとりながら大切に自分を育てていきたい。
実際に人に触れながら施術の練習をしていくなかでの「違和感」や「ざらつき」なんてコンマ1秒の
「…ん?」
くらいなもんなんで、もはや「気のせい」で簡単にすませることのできることでもある。
それをわざわざ言葉にするのは難しいというか、できるのかわからんけど、はじめての時にしか感じることのないフレッシュで素直で大切な感覚だとおもうので、気が向いたらなるべく書きとめようとおもう。
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さて、先日の朝練(施術の練習のこと)で気になったのは、お客さまとこんにちは〜をして、主訴をうかがいつつも軽く全身をチェックし、急にその人のカラダに触れるということだ。そりゃ施術をする場所なのだから、本当に当たり前の流れではある。が、しかし感覚的は道で知らない人とすれ違うときに突然キスするみたいな唐突さをかんじた。(ちょっとオーバーに言ってるけど方向性はこんなかんじ。)
何度も会っていても友人でも関係はなく、その日はじめて出会ったまだ馴染みのない他人のカラダに、パッと触るのはとても乱暴なかんじがした。
しかし、後からなぜそんなふうにかんじるのか、自分のカラダにたずねてみた時に
「自分のカラダに出会ってないから」
というのが、瞬間にでてきた。
自分のカラダも他人のカラダもひとつながりであり、自分のカラダに優しく触れている状態が(感覚的に)あったうえで、相手に触れたらどうだろうか。
もはや、相手に触れにいく感覚はなくなり、
私はここに居るだけで良いのではないか。(もちろん施術をする以上ある程度の介入はあるが、感覚的にはもっと大きな流れのなかでの相手のつながりを感じることができるのでは。)
そしたら、他人に突然キスする(比喩です)必要はなくなるのかもしれない。
朝7:30に目覚め、晴れた土曜日の街を歩きヨガのレッスンへ。
自分だけの時間をもつことってなんて贅沢なんだろう。毎度新鮮なこの気持ちが浮かび上がってくる。
細部まで隈なく意識を巡らせ
感覚を自由に泳がせるとき。
皮膚にあたる風 首筋に触れる髪
呼吸のなみ 体液のながれ…
身体と私はひと繋がりになり
身体からの本当の望みを聴ける瞬間。
このまばたきのような一瞬を丁寧にすくい上げ、
大切に受け取ってあげよう。
そのアイデアや直感、スッとしたり
モヤッとしたりの身体感覚は
自分の頭でこねくり回しては出てこない、
一番素直な「わたし」の声である。
なーんてね。
今日もよき1日をね!
久しぶりに整体へ行きました。
不調という不調はかんじていなかったのですが、なんとなく自分の状態を客観的にみてもらいたい気がして、昔からお世話になっている方のもとへ。
施術がおわると、呼吸がとてもとても楽になり
体と意識に余白ができて、視野が広くなりました。
体とその少し外側がふんわりと、そして広々としたかんじ。空までが自分の空間だと思えるような、山の頂上から遠くの景色を眺めているような感覚。
自分の状態って意外と気づくのが難しかったりして、呼吸がしやすくなった…!と気づいた時に、最近呼吸しづらかったんだと気付いたり、変化があった後にアレコレ気づいて、今の自分の立ち位置が見えてきたりします。
この、施術後のふんわりとした感覚が好きです。
もはや、施術台に寝たところから好きなんだなあ。
施術って、本当に自分に合うひとを見つけたら大切にしていってほしいと思います。こればっかりは相性があるとおもうのです。
利用するときに、ただ体の痛みだけが取れたらいいかというと、そうでもない気がするんですが、どうでしょう。立地、技術、料金、経験、おはなし、人柄、お部屋の雰囲気…などなど、色んなバランスが直感的にしっくりとくるところを ”野生のカン” といわんばかりに、ごく自然にみなさん選んでいるのではないかな。
自分の体を調えたり、今日までの自分の過ごし方をかえりみたり、体感覚として快適な状態を知ったり、単にその先生のお顔を見ただけで元気になったり!施術って本当に味わい深いですね。
私はその時に何となくスッキリしておわり!というよりは、次の日、その次の日…とじんわり変化というか、心地よい余韻とともに生活や思考の変化を楽しめる施術が好きです。自慢なのですが、定期的にソースポイントセラピーのセッションに通ってくださっている方に、私のセッションがその様だと言っていただけたのは、本当にうれしかった!
好みの喫茶店が住む街にあるように、気軽にみてもらえる安らぎの場が一人ひとりにあったらいいなあ。
屋久島の森。あの霧のなかに、
いつでもかえりたいと思いをはせる。
写真家の星野道夫さんが、アラスカに魅せられ
遠いアジアの島国からカリブーを想っていたのと
いまの自分をかさねてみたりして。
きのうはソースポイントセラピーの上級遠隔セッションウェビナーでした。
アメリカに住む創始者のBob Schrei(ボブ)とDonna Thomson(ドナ)とリアルタイムで繋がり、
日本でソースポイントセラピーを広め伝えてくださる佐藤博紀さん(ひろさん)の通訳、
そしてソースポイントを学び、活かし、さまざまなフィールドで活躍される方々と繋がって改めてワークの意図や方法を確認したりアップデートする時間でした。
ソースポイントセラピーは対面だけでなく、オンラインで繋がってセッションを提供することができます。また、オンラインで繋がらなくともセッションを提供できちゃいます。
このような時だからこそ、対面せずにサポートできるのは本当にいいなぁとおもいます。
で、ウェビナーが終わってからジムへトレーニングに行ったのですが、動いても動いても息は上がらないし、身体を内側からしっかり使えて気持ちよい汗をたっぷりかけました。実際に運動中の心拍数をみたらいつもより断然数値が下だったんです!
運動中にキツいときって大抵心臓が苦しいのがしんどいなーと感じるので、(血中酸素濃度とかも気になってきます)それがないと本当に快適に運動できます。
私の体感ですが、快適に動ける時の感覚って、歯車がカチッとあって全ての動きが全自動で行われていて、ストレスフリーで、どこにも緊張がない感じがします。
例えば、どこかが "ちょっとだけ" 無理して動いていたら、その動きを10回できても、100回はできないですよね。でも、動けば動くほどに、もっともっと動ける…! 100回でもいけそう!というか動くことが気持ちよくて100回やっていたい!と思うことがあります。(やらないですけどね笑)
呼吸、エネルギーの流れ、骨や筋肉の繋がりと連動、重力との関係性、空間との調和…。身体の中の小さな動きから、地球や宇宙の惑星の動きまで…?!全部が繋がっているかんじがします。
ソースポイントのウェビナーを通して健全とつながる感覚をクリアにしたことで、心拍数の変化があり、沢山動いても全然疲れなかったよ。というおはなしでした。
目に見えない部分が変化し、目に見える部分も変わっていく。実際に身体で感じれるとよりワークの面白さが深まっていきます。
ソースポイントセラピーに興味をもってくださった方はぜひ体験してみてください。私にご連絡くだされば、セッションできますし、お近くのプラクティショナーの方をご紹介できるかもしれません♪
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Ambient move. というボディメソッド
ソースポイントセラピーというエネルギーワークを行っています。
セッションは以下のアドレスから♪
ambientmove@gmail.com
Instagram ID: ambient_move
こんにちは!
最近「学び」の日々が続いています。
そしてご縁あって、ライブ配信でそのことについてお話させていただくことがありました。今までの経験についても。
思いがけず周りの方々から嬉しい反応があって、とっても嬉しいです。ありがとうございます。
配信でちらっとお話しさせていただいたソースポイントセラピーも、配信を聞いて興味を持ってくださった方がいたりして。
やっぱり実際に受けて体験してくださるのが一番だなぁと感じますし、セッション後にそれぞれの体験をそれぞれの言葉でシェアしてくださるのも楽しいじかんです。
そんななか、日々の学びも同時進行で続いています。
先日も様々なフィールドで活躍される治療家さん達と一緒に学ぶ機会がありました。
私にとっては新しい事ばかり。あっという間に情報が飽和してしまうこともしばしばですし、そんなに素晴らしい方々を前に
「私はどこへ向かおうとしてるのかな?」
なんて言葉が帰り道には頭をよぎるのですが、ピンとくるのは
「私の周りにいる心から素敵だとおもう希望みたいな人に見えてるものを私もみてみたい」
そして
「それを通してずっと知りたかったことを知り、今の自分だからこその気づきを得る」
と言うことに尽きます。
それが今の私の学びの原動力です。
その人のつくる空間から、眼差しから、言葉から、触れる掌から、在り方のすべてから
「ありゃーステキだなぁーー何が見えてるの?何を感じてるの?彼らに見えている素敵なものを知りたい感じたい!」
そんなかんじ。
毎回まわりの治療家さんの知識の多さに圧倒されますが、帰り道にぽろっと出てきた "たわ言" のようなものを見落とさなければ、また自分の核に立ち返ることもできるのですね。
そんなちっぽけな気づきは、何も大したことじゃないようだけど、そうやって大したことない事に気づいて、少しずつ前に進んでいくのかなと思います。