Ambient move.

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ロルフムーブメントw/Marisol2020.03.11

ドイツに渡ってから4回目、2人目のロルフィングセッションを受けました。

トレーニング期間、ムーブメントとタッチのクラスのアシスタントをしてくれる、ブラジル出身のMarisol Valente。
昨日までのトレーニングでもムーブメント講師であるリタや、私たちの様子をよく見ていてくれて、安心してクラスを受けれたのはマリソルの存在がかなり大きかったです。宇宙みたいに広い世界を持った美しい人です。

トレーニング期間中、希望者はアシスタントのセッションが受けれるとの事だったので、受けてきました。
彼女と相談した結果、ロルフィングとロルフムーブメントをMIXしたセッションを提供してくれました。

マリソルは、私の身体を見て椎骨の動きが呼吸に大して逆に動いていることに気付き、そこをロルフムーブメントで改善してくれました。ムーブメントは歩いたり、日常の動作の中での動き方を学ぶようなことかと思っていましたが、背骨に指を当て、自然な呼吸を繰り返しているうちに身体が新しい呼吸の動きを覚えているような感じで、テーブルに横になったままのとても静かなものでした。

また、私の「リレーションシップ」の捉え方の癖にも気付き、それが私の身体のパターンと繋がってコーディネーションを妨げていることも見つかりました。
環境や相手とのスペースが必要だと感じた時、相手を遠ざけると相手を傷つけてしまうんじゃないか、相手に申し訳ない。という気持ちから自分を小さく縮小して距離を保とうとする癖がありました。しかし、自分を小さくすればするほど逆にスペースは失われていき、どんどん息苦しくなるというパターン。。

セッション中、あるワークでは、仰向けに寝て片足はテーブルに足裏をつけ、足裏の肌感覚と、マリソルと手を合わせている肌感覚を使いながら手を動かし遊んだあと、気が済んだと思ったらマリソルの手を押して遠ざける、というものでした。手を押す時、なんだかとても乱暴に扱っているような気持ちになり、心地よくなかったのでそれを伝えると、マリソルは

「あなたと私とリレーションシップだよ。あなたが私を遠ざけるのではなくて、ただリレーションシップを変えるだけだから、あなたと私は何も変わらないよ」
と教えてくれました。彼女の手を押す時、彼女を押しているように捉えていることに気付きました。そして、手を押す時に心地よくない時は私の身体のcontinueity(連続性、繋がり)も切れてしまっていました。

その後、彼女ではなく「関係性」が私に必要ないという感覚で手を押すと、自分の身体の安定性を持ったまま楽に相手を押す事ができました。

セッション後、テーブルから起き上がって立ってみると、背骨も股関節も胸骨ももう何もかもが大きくのびやかになり、骨盤と肋骨の間の空間が生まれ(セッション前はそのスペースが十分ではなかった)歩き始めると足が無重力のように軽く勝手に持ち上がって歩けました。自分で背骨を触ってみても、明らかにラインが変わっているのを確認できました。

今日のセッションが、まさか ”リレーションシップ” に行き着くとは思いもよらなかったけれど、思考パターンと身体の構造が強く結びついている事を体感するセッションでした。

クラスの合間に…2020.03.09

今日は霧雨が朝から続いています。

今こちらはお昼の13時、午後のクラスの合間にこれを書いています。

お昼ご飯のあと、雨でも外へウォーキングしにいく人、コーヒーやハーブティー片手に仲間とおしゃべりする人、部屋で仮眠をとったり、みんな思い思いに過ごせる「隙間」がこのコミュニティーの中にはたくさんあること、その隙間や違いを皆んなが受け入れている事が心地よく過ごす秘訣な気がします。

もちろん2週間という期間を朝から晩まで同じ人たちと過ごし、クラス中は1つの部屋でかなり濃密な内容を学ぶため、その時間がないと皆んなやり通せないという事があるのですが・・・

私は、外の屋根のあるところで、今日の午前のムーブメントクラスでやったことをフィードバックしました。ペアでテーブル(施術台)にひとりが横になり、相手の脚や腕を持つワークをしました。その時の相手を「ホールド」するのではなく「受けいれる」感覚を思い出しました。

外のひんやりと湿った森の香り、左手に持ったコーヒーの香り、霧雨の先に見える遠くの山々。
ドアの向こうのカフェテリアからは皆んなの話し声。

その「環境を受けいれる」ととても静かなスペースが身体の中や空間に広がっている事に気付き、自分の呼吸と共に波打つ身体がダンスするようでした。そして、今いる環境の全てを「受け入れたい」と思えるのは本当に稀有なことだと思いました。

クラスの様子など、また別のタイミングでかけたらと思います。

Spectrm前に・・・2020.03.07

ホテルをチェックアウトし、spectrum(プレトレーニング)前にしばし時間があるため、これを書いています。

旅をすると、このような感覚を覚える人も多いかと思いますが、今トランク1つバックバック1つが自分の全てで、これだけでとても豊かな生活ができている事に気付きます。

新たな出会いや別れ、ちょっとした雑談や、電車に乗る人たちの風景、ひとりでは何一つパーフェクトにできないからこそ、人の手を借り、わからない事は尋ねて、たくさんの人と触れ合うことで

「なんだ、ひとりでここへ来たけど全然ひとりじゃなかった」

と気付いたりします。
心細くても、自分でなんとかしなくてはいけない事や、後回しでいい事、臨機応変に適応すること、くつろぎ、楽しむ事。
人はすぐに忘れてしまう生き物なので、幸せになることは何度も繰り返します。
いつでも周りにいる人や環境と触れ合い、世界はいつでも開かれている、私の求めるものはいつでも笑顔で待っているということを経験します。
もちろん、嫌なことや安心できないこと、何か奪われる感じがする時は静かにその場から去ることも。

"Stay in the Flow"

とイナさんが伝えてくれた言葉を胸に、ロルフィングという新しい世界を探究します。
Door is Open.

セッション3 w/Ina2020.03.06

デュッセルドルフから出発する前日、セッション3を受けました。
セッション3は身体の側面に働きかけます。

その前に手の感覚について話したことから手を壁に当てて感じるところから始まりました。
立った状態で両手を壁におき、掌が壁へ溶けていくように感じてみます。

手が溶けて、その手はそのまま壁の奥へと入っていくように。肘はテンションをかけず、ゆったりと曲がった状態、地面の方へ柔らかく、重く感じます。両手は決して押すことなく壁を許して、受け入れる。そうすると、壁の方から自然とこちら側へ寄り添うように話かかけてくる感覚がありました。
見かけは壁の表面に触れているように見えますが、感覚は壁の奥にまで届き、壁の奥行きや広がりが感じられると、それに全身が反応し、緩み、広がり、全身がその環境を受け入れはじめました。

壁と私が交流し、遊んでいるような感覚は、それだけでとても心地よく楽しく、私をリフレッシュさせてくれました。
それは一人の作業ではなく、環境からたくさんのことを話しかけてくれていて、それらと交流することで豊かな身体に変化していくことがわかりました。

この文章を書くにあたって 「感じる」 という言葉を使っていますが、イナさんは "Sense" と言っていました。

"Sense" と "Feel" はちょっとニュアンスが違うのだけど、日本語だと 「感じとる」 と 「感じる」 とかになるのでしょうか。

Feelはこちらから積極的にアクションをおこして強いイメージ、Senseはもっとこう、いい香りがやさしい風に乗ってふわっと香るような、お互いが感じとり合うような(←この日本語なんか変…)繊細なニュアンスなのかなと思います。

その後、手で感じた感覚を使い、いくつかのムーブメントをしたあと、身体の側面にむけた施術台でのセッションを続けました。

今回のセッションで強く感じたのは、1ミクロンでも "Sense" したらそれで十分だということです。
つい、より良く感じとりたいと思って頑張ってしまうと、それは全然違うことになってしまうんです。身体が動かなくても、その動く前の「動き」を "Sence" するので十分と言えるし、そのちーさな反応に私もイナさんもちゃんと気付くことができました。

今、こっちでセッションや話を英語でしていると日本語の時とはやっぱり言葉から受けるイメージって全然違います。
響きも、その言葉を発する人の文化も全然違うので。
だから、日本に帰ってこの経験を生かす時、やっぱり自分の中でよく咀嚼して、自分の言葉や感覚で改めて伝えていくんだと思います。英語圏の方が英語で学んだとしてもきっと同じような過程が必要ですが、言語の違いがあるとそれをせざる終えない圧倒的な理由があるなと思うのです。

環境について2020.03.05

デュッセルドルフについてちょうど1週間が経ちました。
時差ボケも落ち着いたし、毎日穏やかな環境で過ごせてとても幸せです。

イナさんと日々過ごしていて、ふとさっき思ったことは、ある「環境」に身をおく事と、その過程について。
毎日イナさんと一緒に過ごしていると、当たり前だけど毎日彼女の話す言葉を聞きます。

使う言葉、音の響き、ニュアンス、ちょっとした仕草、動き・・・

一度聞いて意味がわからない単語も、何度も出てくると何となくこんなニュアンスなのかな〜と思ったり、そうしているうちにその言葉を覚えて自分も使ってみたりします。
赤ちゃんが初めて言葉を覚えるのと同じだなぁ、と思って。

明日の朝、デュッセルドルフとはお別れして、ミュンヘンへ向かうわけだけど、きっと向こうでもイナさんの話し方や二人で会話していた中で使った言葉を、仲間や講師の先生にも使うだろうなと思います。

それって、言葉だけではなくて「覚える」という事すべてにおいて同じ事だと思います。
どんな環境で過ごすかで、何を感じるか、何が見えるか、どんな思考回路か。ぜんぶ変わってくるなって思います。

穏やかとは言え、コロナの事や色々な問題や心が乱されるようなことは日々起きているし、それから目を背けることもなく、東京に居る時と何ら変わらず色んな人が居るわけだけど、少なくともイナさんと過ごすことで、私の中はとても豊かで穏やかです。

「手はこうやって、こうやってよく洗って、うがいも忘れずに、安易に手で顔を触らないで、セッションで使ったものは全て毎回交換する、電車に乗る時にマスクしたい時はショールを首に巻けばいいのよ。にしても、プレトレーニング、いいなぁー!私も一緒に行きたいわ!!」って。

やれる事をキチンとやって、あとは落ち着いて自分のやるべきことを楽しもう。
自分を守って、手放して、受け取って、交流して。

そうやって過ごせたのは、彼女のお陰だと思います。

私は、イナさんや下の階に住むおばあちゃんとたった1週間だけど一緒に暮らして、お互いが思いやりながら日々起きる色々な現実を受け止めながら、楽しく過ごす事、いつ死がやってきても満足なように、どんな態度で暮らすか、どんな瞬間も大切にしつつ、厳しくなりすぎない事。。

そして、セッションを通してそれはそれは大きなギフトをもらいました。

身体の構造を捉える、自分の癖を理解する、重力を感じる、コミュニケーション、手放すことによって還ってくるものを受け取る、繋がりを感じる・・・

全てが初めての環境で、消化するのにまだまだ時間か必要だけど、すでに心も体も脳も素敵なもので満たされているのを強く感じています。
イナさんもまた、私との時間をとても喜んで過ごしてくれたのが伝わってさらに感謝の気持ちでいっぱいです。

あさってから、プレトレーニングが始まります。

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